人の「生き方」を学びました/韓東輝先生を偲んで

《朝鮮新報》 2020.07.29

私の家の部屋の真ん中に絵がある。野原一面に咲き誇るタンポポの絵だ。

60歳の時、在日朝鮮人美術運動の長老の一人である、故・韓東輝先生からいただいた絵である(韓東輝先生は今年4月26日に逝去、享年84)。

とても温かい絵だ。

私はこの絵からたくさんのインスピレーションをいただいた。歌も作曲したし、詩も書いた。そして今、異国の地でわが在日同胞たちの民族的生命水と言える民族教育をテーマに大きな曲を書いている。昨年、書き上げたが満足できず、今年になってまた書き直している。

この曲が完成し演奏される時には韓東輝先生に必ず聞いていただきたいと思っていたのに、突然の悲報。

私は狼狽した。

私が先生のお宅へ伺い始めたのはもう40年も昔のことだ。東京・荒川、日暮里のお宅は足の踏み場もないほど絵、絵、絵。そして帰ろうとすると「パプ モッコカ!(ごはん食べていきな!)」となる。

奥さんのスネオモニの手料理の朝鮮式煮魚とキムチ。たいへん美味しい。すると先生は、「君の魚の食べ方はヘタクソだなあ…」と一言。先生の皿を見ると、ネコも真っ青! 残されていたのは背骨だけだった。

そしてデザートは牛乳入りのコーヒー。これはスネオモニの特許とも言える一品だ。コップの途中でコーヒーと牛乳が見事に分かれているのだ。家で何度も作ってみたができない。それから40年。事あるごとにお会いしてきた。

先生の絵は故郷の済州道の山河、そして海、港…。一世ならではの色彩、そして良い意味での匂い。故郷の匂い、漁村の匂い、市場の匂い…。

決して華麗ではないが、故郷の民と在日同胞を重ねた汗と涙、笑いと底力を感じさせる力強さを持った絵である。そして、私の頭に焼きついて離れないのはオモニの絵である。いかにも海の女性を連想させる、日焼けしたたくましいオモニの顔。先生は生涯、その面影を抱きつつこの異国で祖国の統一を願い、民族教育に一生を捧げてこられたのだろう。

本来、芸術家は一人作業が多い。しかし、先生はいつも文芸同美術部の仲間と活動してこられた。そして、個人的な富や物質的な裕福を求められなかった。

文芸同美術部の展覧会には必ず出品し、また受付も受け持ち、同胞(観覧者)たちに絵の解説もなさっていた。

私は美術家が好きだ。物の見方、考え方がとても論理的である。しかし先生は、こうだからと面倒な組み立ての話はされない。一世独特の人生の経験からにじみ出たような、素直な意見を述べられる。

私は先生の絵の中にある、漁船の錨の赤茶けた色を音にしたら…と試行錯誤している。まだ結果は出せていない。

先生の絵、美術家としての活動と「生き方」、そして民族教育の場でたくさんの子どもたちに民族の文化を教えてこられた業績、これらを思うと、もう一度残念さがこみあげてくる。

私は音楽家であり、美術全般にはまだまだ対岸的な部分も多い。しかし、人の「生き方」としてとても魅力的な先輩に出会えたことをとても幸福だったと思う。

故・韓東輝先生。先生から人の「生き方」を学びました。改めて襟を正し、ご冥福をお祈りします。

(金学権、文芸同音楽部顧問、作曲家)

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