在日本朝鮮文学芸術家同盟

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 17〉

国語教員代表団を引率する(국어교원대표단을 인솔하다)

《朝鮮新報》2021.10.09

1984年6月19日、祖国講習に参加する国語教員が出発を前に総聯中央会館に集合した。その集いで李珍珪第一副議長が挨拶された。

第一副議長は「主席の慈しみ深い配慮で、国語教員の初めての祖国講習が実施されることになった。今回の代表団は民族教育の基本である母国語教育を強化するために実現された。これから3カ月間、祖国で多くのことを学ぶことになる。一生懸命学んで民族教育のウリマルの水準を高めなければならない。そのためには、学生たちの言語生活の実態を科学的に分析して、問題点を解決することだ。祖国と日本の言語環境や学生たちの実態は違う。日本の実情に合った解決方法を見つけ出し対策を立てることが重要だ。日本での母国語教育の質を向上させることができるよう3カ月間、しっかり学んできなさい」と激励のことばをくださった。

代表団は30名ほどで構成された。団長は教育局の副部長で、私は総務を任された。1カ月後、団長の事情で、私があとを引き継いだ。こうして3カ月間にわたる、民族教育史上初めての祖国での国語教員祖国講習が始まった。

平壌に着いた代表団は、大同江ホテルに滞在しながら講習を受けることになった。

講師を金亨稷師範大学の教授、民族教育担当講座の教員、国語教科書担当者など多くの先生方が受け持ってくださった。その中には旧知の先生もおられた。

講習に先立ち参加者全員の発音や話し方、作文能力などの実態を調査し、各教員が講習期間に克服すべき課題を与えた。

講習は主に人民文化宮殿とホテルの会議室で行われた。

講習では、国語授業で指導する発音や語彙の学習、語学、文学に関する基礎知識、国語教材の扱い方、教材研究や教案作りなど多岐にわたって学ぶことができた。6.9高等中学校などで教育実習も行った。

講習の一環として演劇や歌劇、各種舞台公演を鑑賞した。ホテルの映画館で映画を観ながらウリマルを学んだ。

学生たちの言語実態を各自が分析し、意見交換の後、問題点の解決のための対策も立てた。また、日本での国語授業やウリマル運動の経験も共有した。

6.9高等中学校の教育実習でのことだった。実習後、講習参加者と女学生がドッチボールをすることになった。女学生がボールを投げようとした時だ。周りの女学生たちが、あちこちで「죽여라!(チュギョラ)」と叫ぶではないか。私は一瞬ギクッとした。「殺せ!」と叫ぶ女学生の「過激」なことばに驚いた。私は一緒にいた講師に「こんなとき죽여라と言うのですか」と聞いた。講師は、母語話者の日常生活では、運動競技や将棋などで「アウトにする」「取る」という意味で죽이다チュギダがよく使われると言われた。のちに北南とも普通に使っていることを知った。自分の言語知識と言語感覚の乏しさを事新しく悟った。これをきっかけに、それまで取り組んでいた類似語(意味の似ていることば)の資料作りに多義語(ひとつで複数の意味を持つことば)も加えることにした。

資料作りの過程で、多義語は日常よく使われる固有語などに多く、それらに民族性がより濃く宿っていることを改めて実感した。多義語の意味と使い方を知ることは、ウリマルに精通するだけでなく、民族性を身につける早道になるという確信が生まれた。

余談だが、南朝鮮の時代劇によく죽여주시옵소서(チュギョジュシオプソソ)ということばが出てくるが、字幕に「殺してください」となっていることが多い。これは「面目次第もございません」とか「(私の犯した大罪を)どうかご容赦ください」と訳すべきだろう。

1984年に始まった国語教員祖国講習はその後、2010年代後半頃まで30余年間毎年実施された。その間、私は10数回にわたって国語教員の祖国講習を引率した。

講師には金日成綜合大学や社会科学院言語学研究所の教授、国立演劇団の話術指導員らも新たに加わった。

経済事情が厳しくなるにつれ、年々参加者が少なくなった。一部では「1カ月足らずの講習で何が学べるのか。お金の無駄使いだ」という声もある。しかし、祖国で学ぶのは知識だけではない。滞在期間、祖国の愛と情に触れることで、資質向上はもちろん民族教育に尽くす信念を心の奥深くに刻み込むのだ。

祖国講習を共にした多くの先生方は、その時の誓いを胸に今も現役として教壇に立っておられる。諸事情で退かれた先生もいろんな形で民族教育の発展に尽力されている。

民族教育の発展と在日同胞の子どもたちの明るい未来は、ウリ学校教員の血と汗の結晶でもある。

国と民族の興亡は教育の発展にかかっている。在日同胞社会の存亡も民族教育の固守発展にかかっているのだ。その重要な一翼を担っているのが、ウリ学校の教員たちだ。

教員の資質向上と道徳性を磨く努力は、教育現場にいる時だけでなく、一生涯続けていかねばならないと私は思っている。先生は、学生にとって生涯の鑑だからだ。

「教育事業は、良心であり献身であり愛国です」とおっしゃった金正恩総書記のことばが、心に染みる今日この頃である。

(朴点水 朝鮮語研究者)

평양の語源

평양(平壌)は、高句麗の首都の古語だった固有語の「부루나」の吏読式表記(리두:漢字による朝鮮語表記)から生じた言葉です。부루나は「平らな所、平原、広い土地」という意味を表す言葉で、부루は「平野、野原」、나は「土地、場所、地帯」を意味します。「平壌」の「平」は벌(野原)の古語の부루-

버러の吏読式表記で「河を挟んだ広い平野」という意味です。「平壌」の「壌」は「土地、地帯」を表す古語の나の吏読式表記です。평양は古朝鮮、高句麗の首都でした。高句麗は평양を한성とも呼んでいました。한성とは「大きい城」という意味の言葉で、これは평양が大きな城のある都市であるというところから名付けられた名前です。高麗は평양を西の方角にある首都ということで서경(西京)と呼びました。また평양は昔から柳が多い首都だったことから류경(柳京)という名前でも呼ばれていました。平壌に高くそびえる105階建ての「柳京ホテル」は別名「平壌ホテル」ということになりますね。

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