【寄稿】先輩、元文芸同中央音楽部長の訃報に接して/金学権

《朝鮮新報》 2020.12.22

2020年11月28日。金剛山歌劇団の元作曲家であり、指揮者、カヤグム奏者、そして文芸同中央音楽部長であった共和国功勲芸術家・李甲俊先輩の訃報を受け取った。

悲しく寂しいかぎりだ。

先輩との出会いは、金日成主席誕生62年を記念して1974年、在日本朝鮮人芸術団として初めて祖国を訪問した時だった。

1990年に発行された「響け我が歌Ⅰ」(《울려라 새노래Ⅰ》)

以降、日本で公演があった大音楽舞踊叙事詩「五月の歌」の創作、祖国での芸術講習など、何度もご一緒させてもらった。その過程で私の一生の師となった林大植先生(ピバダ歌劇団作曲家)を紹介してくれたのも李先輩である。

個人的な追憶を書きだしたらきりがないが、深く心に刻みたい李先輩の業績がひとつある。歌劇団の忙しい仕業をこなす一方、中央文芸同音楽部長として残した足跡だ。

李先輩は在日同胞の音楽運動を担う音楽部長を兼任され、当時の私は音楽教師をしながら副部長として働いた。その時のことがとても鮮明に思いだされる。

李先輩は、各地の文芸同支部音楽部長たちとネットワークを築くのにずいぶん努力された。歌劇団の地方公演時には地方の音楽運動家との連携をよく取り、祖国の芸術の流れを参考に在日同胞の音楽運動を盛り上げようとしたのだ。

そして各地の音楽家に、祖国愛、同胞愛であふれる曲、若い世代も好む曲を作ろうと呼びかけた。

結果、在日同胞音楽家による創作歌謡集「響け我が歌Ⅰ」(《울려라 새노래Ⅰ》、1990年12月発行) が発行された。

「異国の空の下で」(《이국의 하늘아래》、韓徳銖作詞、李甲俊作曲)

その中には今も同胞たちのあいだで歌われている曲がたくさん収録されている。いま私はその歌集を改めて手にし、それの持つ意義を感じている。

李先輩から音楽部を引き継いだ私の決意。まさに、この創作歌謡集Ⅱを必ず出すことであった。

作曲は個人作業である。しかし、李先輩はこれを音楽運動として捉えた。夜遠く国分寺から私の勤める東京足立まで来てくれて、居酒屋でたくさんのことを語った記憶は、私の血となり肉となった。

女性同盟70周年を記念する公演で歌われた「異国の空の下で」(《이국의 하늘아래》、韓徳銖作詞、李甲俊作曲)のように、李先輩の人生は確実にわれわれ在日音楽運動に足跡を残したと私は思う。

晩年には体が思うように動けなくなるまで朝鮮学校へ出向き、子どもたちの音楽指導にもあたったと聞いている。

李甲俊芸術家! 心の底から冥福を祈ります。

あなたの志は若い音楽部が確実に引き継いでいます。

(文芸同中央音楽部顧問)

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