在日本朝鮮文学芸術家同盟

〈民族教育と朝鮮舞踊23〉祖国の舞踊家たち

〈民族教育と朝鮮舞踊23〉祖国の舞踊家たち

朝鮮新報》2023.01.08

左から-キム・へチュン、ペク・ファニョン、ファン・リョンス、キム・ラギョン先生(1988.1)

在日朝鮮人の舞踊活動と舞踊教育にもっとも大きな影響を与えたのは、何といっても祖国の惜しみない支援と配慮、名だたる舞踊家たちの同胞愛に満ちた指導である。

1960年代初頭、帰国船内での伝習から始まった祖国の舞踊家による直接的な指導なしに、今日の在日朝鮮舞踊の普及と発展は考えられない。73年、マンスデ芸術団の日本公演を機に、祖国の舞踊家たちに本場の朝鮮舞踊を学んでから、在日舞踊活動と教育は劇的に変わった。在日朝鮮人芸術団は、祖国訪問のたびにピパダ歌劇団や国立民族芸術団をはじめ超一流の按舞家と指導員の伝習・指導を受けることができた。そのおかげで、朝鮮舞踊の素晴らしさと芸術的技法等を学べた。そればかりか、金剛山歌劇団や地方歌舞団の新任団員のための集中的な技術技量講習、文芸同舞踊部員たちの伝習にも優れた講師がついてくれた。80年代に入っては、総聯結成30周年記念音楽舞踊叙事詩の創作、音楽舞踊通信受講生への通信教育、そしてソルマジ(迎春)公演の按舞・指導など、どんなに情勢が険しく祖国の事情が苦しい時でも、途切れることなく朝鮮舞踊の伝授が行われた。

60年代に帰国船の中で按舞家のチャ・イェジン、舞踊手のキム・スクチャ、チュ・ヘドㇰ先生たちが、在日舞踊家の草分けである任秋子先生たちに初めて朝鮮舞踊を伝授した結果、同年代後半に3千人が出演する大音楽舞踊叙事詩が3度も大成功を収めることができた。

70年代以降に在日舞踊のために尽力されたのは、人民芸術家であるキム・ラギョン、ペク・ファニョン、キム・へチュン、キム・ヨンギル、ペク・ウンス先生たちであった。朝鮮芸術交流協会が、海外同胞のために舞踊講師をつけてくれたこともあった。朝鮮民族音楽舞踊研究所のパク・リョンハㇰ、キム・ウナ先生たちも多くの在日舞踊手を指導した。

左-ペク・ファニョン先生、右-ペク・ウンス先生(2016.8)

80年代からは平壌音楽舞踊大学舞踊学部のカン・グァングッ、リ・インスㇰ先生をはじめ、多くの先生方が通信受講生に対し親身に教えてくださった。そして、ソルマジ公演では、青少年課外教養指導局の按舞家や指導員、ピョンヤン学生少年宮殿のキム・ウンソン按舞家が在日朝鮮学生少年芸術団の作品を創作・指導された。

右-キム・ヨンギル先生(2000.10)

舞台芸術である舞踊公演を行うためには、舞踊音楽や舞台美術は欠かせない大事な形象手段であるが、それを一手に引き受けて素晴らしい作品を創り、日本で朝鮮舞踊公演を行えるようにしてくれた先生方も数知れない。特に、舞台美術を初期から制作してくださったファン・リョンス先生(故人)は5大革命歌劇や革命演劇、大音楽舞踊叙事詩、集団体操と芸術公演などの全作品の美術を総指揮された、ピパダ歌劇団の舞台美術室長・人民芸術家・労力英雄・金日成賞受賞者であり、人望の厚いアボジのような方でもあった。

また、作曲家であるカン・ギチャン、シン・ヨンチョル、ハン・チョル、キム・ヒャン先生は、朝大のオリジナル舞踊曲を作曲してくださった忘れられない音楽家である。

キム・ラギョン先生は、「祖国のツツジ」、「三人舞」、「トラジ」、「金剛仙女」や大音楽舞踊叙事詩の舞踊など数々の名作を世に出された天才的な按舞家であった。先生が創作された作品は必ず成功する、と言っても過言ではない。残念ながらお亡くなりになったが、在日朝鮮舞踊に初期の頃から影響を与えた。

左-リ・インスㇰ先生、右-ナム・スヒャン研究士(2006.8)

現在も金剛山歌劇団の舞踊創作を手掛けているペク・ファニョン先生は「剣舞」、「扇の舞」、「私の愛する花」、「楽しいセナㇷ゚の調べ」、舞踊組曲「ピョンヤン城の人々」などの有名な作品のみならず、歌劇団の代表作でもある「錦の山河」、「ハナ」、「満月の夜」など、毎年創作をなさっている。哲学的で抒情的な先生の作品は高尚で奥深く、洗練された作品が多い。

キム・へチュン先生は舞踊家・崔承喜先生の愛弟子で、74年の処女作「手太鼓の舞」の創作を機に按舞家として成功され、「チェンガンの舞」、「パッピョンの舞」、「タㇽマジ(月見)」、舞踊組曲「季節の歌」、舞踊劇「鳳仙花」などを創作した。いつも気迫に溢れた情熱家であり、先生の躍動的で斬新な作品はいまも人々に愛されている。

男性舞踊手として一世を風靡したキム・ヨンギル先生の素晴らしい体格と、民族的でありながらも洗練された舞踊の所作は今でも変わらない。舞踊手たちの指導や「武士チュム」、「念願」などの創作もされ、「朝鮮民族舞踊研究所」で「朝鮮民族舞踊基本」(崔承喜)の復元・普及活動においても中心的役割を果たされた。

祖国の権威ある「2.16芸術賞」コンクールに入賞するには、必ず指導を受けなければならないと言われているペク・ウンス先生は、マンスデ芸術団の舞踊俳優を経てピパダ歌劇団、朝鮮芸術交流協会、国立民族芸術団の指導員を務め、按舞家としてマンスデ芸術団で活躍されている。「山河歌」や「平鼓の舞」、大マスゲームと芸術公演「アリラン」の中の舞踊などを創作した。

左-ペク・ファニョン先生 (2018.9)

私が祖国でも屈指の高名な先生方に師事することができたのは無上の幸運であり、かけがえのない財産となった。80年代初期から、キム・ラギョン、ペク・ファニョン、キム・へチュン、ファン・リョンス先生たちに、90年代からは、ペク・ウンス、キム・ヨンギル、カン・グァングッ、リ・インスㇰ、キム・ウナ、パク・リョンハㇰ、リ・マンスン先生たちに導かれ励まされながら、言葉では尽くせないほど大切なことを学んだ。

祖国の先生方の同胞愛・師弟愛に溢れた指導は、まぎれもなく祖国の慈愛と配慮であり、その教えがあって今の私自身があるのだと感慨深く振り返るのである。

朴貞順(朝鮮大学校舞踊教育研究室室長)

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