在日本朝鮮文学芸術家同盟

Stranger 日本で平壌の夢を見る~조국의 사랑은 따사로워라 朝鮮音楽の祝典を鑑賞して~ 北岡 裕

Stranger 日本で平壌の夢を見る

~조국의 사랑은 따사로워라 朝鮮音楽の祝典を鑑賞して~ 

北岡 裕

めっきり孤独なのである。ふだん人であふれる東京を歩いているのに、まるで冷たい深い穴の底でひとり体育座りをしているような孤独をぼくは常に感じているのである。

 先日参加したある集まりが盛り上がり、主宰者の男性が「これからみんなでカラオケに行こう」といいだした。「ぼくは帰ります」と宣言し、スッと人の輪を離れると「えーっ」という声が背中の方からしたが、構わず駅への道を急いだ。後日その集まりにいた別の方から「あの態度はない」「付き合いが悪い」と、特に主宰者が不興を表していたと伝えられた。

 それにはわけがある。平壌駅の近くにカラオケラウンジがある。いつも同行する訪朝団の副団長さんのひいきのお店で、ぼくも何度か行ったことがある。席につくと副団長さんの横に、日本語が少しわかる女性接待員と何名かがついた。末席のぼくについてくれたのが김은미さんという女性で、まだこの仕事について間もないのか、外国人を前に緊張しているのか。硬い表情で目を伏せていた。

 漢字の名前を聞くと金銀美。ゴールド・シルバー・ビューティフォー。とんでもないキラキラネームである。ぼくがこれまで会ったキラキラネームな方は、名前負けした残念な方が多かったのだが、銀美さんはキラキラネームの限界をあっけなくK点越えしたとんでもない美貌の持ち主で、またその立ち居振る舞いも秀麗だった。まごうことなき平壌ビューティ。それはまるで大谷翔平の弾丸ライナーのホームラン。「ビックフライ!オオタニサーン!」というアナウンサーの声がぼくの頭の中に響いた。その時まだ大谷翔平は渡米してなかったけど。でも確かにぼくは春の平壌でその声を聞いたのである。

銀美さんとは朝鮮語で話すうちにすっかり打ち解け、朝鮮の歌をデュエットし、副団長の歌に手拍子しながらふざけてヤジを飛ばし大笑いし、銀美さんに激辛のミントタブレットを食べさせ「先生様はひどい人です!」と頬をふくらませる姿をからかったり、それはそれは楽しい数時間を過ごした。

 そして帰る時に銀美さんにいわれたのだ。「次はいついらっしゃるの」。

「近いうちに」。そのころはまだコロナなんてものはなかった。一年後にぼくは平壌にいると信じて疑わなかった。「じゃあひとつ約束してください。先生様が次にカラオケをするのはわたしと、平壌のこの店ですよ」とささやく銀美さんに「うん!ぼく日本でカラオケ行かない!ぼく38度線越えない限りカラオケなんて行かない!」。銀美さんと指切りまでした。

 その後何度かの不幸なめぐりあわせと、コロナのせいでもう8年も朝鮮に行けていない。しかし会えないとはいえ一旦結んだ約束を違えるわけにはいかない。日本人男子として銀美さんとの約束を違えるわけにはいかない。いくら周りから不興を買おうとも、何と言われようとも、ぼくは日本でカラオケに行き歌うことはない。

 昨年、晩秋の伊勢を中学の時の同級生ふたりとドライブに行った。運転手の友人Aがスマホで最近の歌を流した。友人Bが「この歌知ってる」と口ずさむ。気づかいの人である友人Aが、ぼくが黙っていることに気づき、90年代のポップスにチャンネルを合わせてくれた。AとBがデュエットする。確かに中高生の時に聴いた記憶はあるのだが、歌えるレベルにはなく車内の楽しいカラオケ大会に加われない。気配りの人Aが心配そうにいう。「車酔いか」。首を横にふる。Aの気配りに応えられないふがいなさに困惑していると、ぼくの普段の生活ぶりをよく知っている気づかいの人Bがいう。「もしかして、日本の歌がわからないの?」ぼくが頷くとふたりはため息をついた。「(北)朝鮮の歌ならわかるのだが。すまない」というと「おまえも色々大変なんだな」といい、AとBは歌い続けた。

また別の日のこと。久しぶりに「돌파하라 최첨단을」を聴いた。その途端、懐かしさが怒涛の如く押し寄せて来た。初めて聴いた当時、CNCとプログラム。それまでの朝鮮音楽になかった英語の歌詞に新時代の到来を直感したぼくは、妻を猛説得し2度目の訪朝をした。マスゲームを見て、銀河水管弦楽団の公演を見た。音楽がその時の懐かしい記憶を連れて来た。しかしぼくにとってその音楽とは朝鮮音楽なのである。

今年の6月9日。在日本朝鮮文学芸術家同盟主催の「조선음악의 축전 조국의 사랑은 따사로워라」 (6/9 国立オリンピック記念青少年総合センター開催)に、在日コリアンの音楽オタク、否、畏友金くんと出かけた。

고향의 봄から始まる第一部。조국의 사랑은 따사로워라で終わる第二部。カタログを一瞥しただけで興奮が伝わってきた。ひとつ、再確認をしておこう。

祖国の愛は暖かい。その祖国とはどこか。ぼくにとっては日本である。

ここを間違ってはいけない。朝鮮はぼくの祖国ではないのである。もし朝鮮と日本が川で溺れ助けを求めていて、浮き輪をひとつしか持っていなかったら、ぼくは躊躇なく日本に向かって投げる。

どうしても越えられない一線がある。たどりつけない部分がある。たどりつきたいところがある。たどりつけないところにたどりつこうとする。旋律を楽しみながら歌詞の行間に秘められた深意をつかもうとする。あがく。もがく。悩む。日本人としてどうしても理解できない限界とたどりつけない一点がある。それを一歩でも乗り越えようとする努力は苦しみでもありまた朝鮮音楽の醍醐味なのである

そのうえで懐かしいのである。とにもかくにも懐かしいのである。ホールで響く歌、記憶の中の旋律と楽器の奏でる旋律が重なる。そしてその時何をしていたのかという記憶が重なり繋がる。そして朝鮮であった人たち、案内員たちや銀美さん、平壌ホテルのバーテンダー、チェ・ユンジュさん。朝鮮で会った人たちの顔が浮かぶ。約2時間の公演の間、こうしてぼくは孤独を忘れ、懐古と記憶の旅を楽しんだ。柔らかいホールの椅子に沈み込んでいくような錯覚を覚えた。

では日本とはなにか。ぼくにとっての祖国は、この文章を読む多くの在日コリアンの方にとっては客地であり異郷である。異郷である日本で、国交のないみなさんの祖国、朝鮮の文化と歌を守り、それを高いレベルで維持し演奏会まで行っていることは素晴らしい。これは民族教育のひとつの成果であり、また在日コリアンの方々の努力の結晶である!とここで筆をおけばこの文章はきれいにまとまるのだがあえてそうはしない。無粋を承知の上このまま継続前進する。

台湾人の評論家、金美齢氏の著書に「世界一豊かで、幸せな国と、有難みを知らない不安な人々」(PHP研究所。1999年)という本がある。いささか古いこの本を再読すると、四半世紀後の今の日本の退潮ぶりにため息も出る本であるが、日本人に自信を取り戻そうではないかというエールに満ちている。

この本でクロワッサン・フリークでもある彼女は、クロワッサンの本場、パリで食べたクロワッサンへの失望と、日本で食べるクロワッサンの美味しさを滔々と述べている。そして「日本には世界各国の『食』が集結し、そしてその味は決して本場に劣るわけではないということです」とまとめている。

この視点で語るのであれば、ぼくの祖国である日本、東京のなんと素晴らしいことか。東上野に行けば、在日コリアンの方の作った美味しいキムチを買い求めることが出来る(ぼくの一番のひいきは、朝鮮学校のイベントで作ったお母さん手作りのキムチだ)。そういえばかつて、ポチョンボ電子楽団が日本各地で公演したという。その当時に朝鮮への関心がなかったことが惜しまれる。今なら伝手をフル動員してチケットを手に入れただろう。

今、その時のように朝鮮から楽団が来て公演することは難しい。だがこうして、東京で朝鮮音楽の公演が開かれ、朝鮮音楽を高いクオリティで聴き、楽しむことが出来る。懐古の記憶の旅に出ることが出来る。そして公演の終わったあと、喫茶店で同志である、畏友金くんとつらつらと公演の感想を語り合うことが出来る。その素晴らしさについてこうして文章を書くことが出来る。そしてぼくはまとわりつく孤独を忘れている。そのありがたさはことばを並べても語り尽くせない。

どうかこれからも公演を続けて欲しい。日本の歌を忘れ、日本人の友人と共有できず、歌える歌のない苦しみを感じながらも、朝鮮の歌を聴ける幸せを感じ、記憶の旅を楽しみ、公演の間普段さいなまれる孤独を忘れた日本人の男のためにも。

そしてぼくも約束する。近いうちに平壌に行き、平壌駅前のあのカラオケバーで銀美さんとデュエットすることを。数年ぶりに平壌でカラオケを解禁して、朝鮮の歌を数時間、喉も腫れよ潰れよと、ノンストップで歌い続けることを。

北岡 裕(YOU Kitaoka)

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