〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 7〉

夏休みの宿題と漢字音(여름방학숙제와 한자음)

《朝鮮新報》2020.11.08

中学1年の夏休みに入ると、すぐに自分に課した夏休みの宿題に取り組んだ。それは、復習と予習を兼ねて家で世界史の教科書を訳すことだった。

叡山電車の終点、鞍馬駅の三つ手前にある市原から静原方面に20分ほど歩いて行くと道沿いに採石場の飯場があった。その飯場が家だった。一日中、岩を砕く破砕機のガンガラガラという音と、砕いた砕石を大きさごとに分ける選別機のカラカラカラという音が聞こえる。時々、ドカーンというダイナマイトの爆発音もする。

コラージュ・沈恵淑

教科書の訳には、「朝鮮語小辞典」(宋枝学、1960、大学書林)を使った。

朝4時に起きて7時頃まで、家の裏手を流れる渓流のせせらぎの音を聞きながら訳に取り組んだ。朝食後も3~4時間ほど辞書を引いた。午後は暑さを避けて兄弟と渓流につかったり、手掴みで魚取りをしたりして時を過ごした。緑の樹木が生い茂る山間に小鳥たちのさえずりが響き渡る中、透きとおった渓流につかると心や頭の隅々まですっきりした。夕食後、夏休みの宿題をして9時過ぎには床についた。一日に6~7時間ほど辞書とにらめっこした。

ウリマルは字母順がわかれば一応辞書を引くことができる。最初はなれずに手探り状態だったが時間が経つにつれて少しずつ引けるようになった。辞書の見出し語と同じ形の名詞、数詞、代名詞、冠形詞、副詞などの単語は比較的簡単に探すことができた。問題は動詞、形容詞だった。教科書には辞書形ではなく活用形で出ているので探すのに四苦八苦した。ひとつの単語を探すのに30分以上かかることもあった。날다(ナルダ・飛ぶ)や걷다(コッタ・歩く)、낫다(ナッタ・治る)、돕다(トプタ・助ける)、흐르다(フルダ・流れる)などの変則用言になるとほとんどお手上げだった。結局、目標の半分も訳せなかった。

4カ月足らずしか習っていない朝鮮語を訳そうとすること自体が無謀な挑戦だったかもしれない。しかし、目標を達成できなかった悔しさはあったが後悔はなかった。無駄ではなかったからだ。辞書を引くことで、自分に何ができて何ができないのかをそれなりに知ることができたのは大きな収穫だった。

2学期に入ると授業後、毎日のように少年団室に行って動詞、形容詞、토(吐:助詞・語尾)の引き方を先輩たちに教えてもらった。特に鄭秀林先輩にはお世話になった。親切さに甘えて東九条の彼の家にまで押しかけていった。彼は、私の執拗さに呆れながらも快く付き合ってくれた。そのうち彼の家に週4~5日は寝泊まりするようになっていた。辞書を引く力が日ごとについていった。いつの間にか辞書がスッと引けるようになった。

次の年の夏休みに今度は朝鮮史の教科書で再び訳に挑戦することにした。1年生の時とは比べものにならないほど速く引けた。何度も出てくる単語は辞書を引かなくて済むようになった。表記も覚えた。

訳が進むうちに漢字の朝鮮語音がほとんど1字1音だということに気づいた。漢字で日本語の熟語を作り朝鮮語音で発音すると朝鮮語になった。朝鮮語と日本語の漢字語に同じ意味を持つ単語が多かったので日増しに単語の習得数が増えていった。

また漢字を日本語で音読みしたものと朝鮮語音が対応していることにも気づいた。好奇心が湧いた。朝・日漢字音の対応関係が知りたくなった。それを確認したくて、目に入る看板・表札・新聞・雑誌などの漢字を手当たり次第に日本語で音読みした後、朝鮮語音で発音してみた。この過程で音韻対応の規則性が初声、中声(母音)、終声(パッチム音)のすべてにあることを知った。特にパッチム音の音韻対応が単純でわかり易かった。

ちなみにパッチム音の朝・日音韻対応は以下の図のようになる。

1年余りで辞書を引く習慣がしっかり身についた。いつの間にか「朝鮮語小辞典」はボロボロになっていた。

辞書や事典は世の中を見る窓だ。過去から現在、そして未来に行ったり来たりしながら知らない世界を見せてくれる。まるでタイムマシーンのようだ。辞書で勉強するのは、学校で出る宿題の勉強とは違った学びがある。「与えられたものを学べばよい」ではなく、「わからないことは自分で調べよう」という意識を育むことができるし、知識を得ることで自信と誇りを持つこともできる。辞書を引いて、今まで知らなかった事柄を知ることが興味の種となり、能動的な学びが広がるきっかけにもなる。興味があることを調べていくと頭の中では別々だったものごとが、実はつながっていたことに突然気づくこともある。

「分からないことをそのままにしない」という姿勢を育むことは、何物にも代えがたい「自ら学ぶ力」、「生きる力」を培ってくれる。辞書や事典、本と付き合うことは、最良の친구(チング・友)を得ることになるのだ。

봄・여름・가을・겨울の語源

四季を表すこの四つの語は、農業を基本に各季節の特徴を捉えた言葉です。

朝鮮民族は、春の特徴を農作物や野山の草木の芽がでる季節だと捉えました。ウリマルで「芽」を움と言いますが、この움が봄の語源です。次に夏の特徴を農作物や草木の実が実る季節だと捉えました。여름の古語は녀름で本来の意味は열매(実)です。여름は「実る」という意味の古語녈陥に名詞化する接尾辞음が付いて、녈음→녀름→여름と変化した言葉です。次に秋の特徴を実った農作物を収穫する季節だと捉えました。가을の本来の言葉は가살で、これも「実、農作物」という意味です。今も「刈り入れをする、収穫する」ことを가을하다と言いますが、これは가을の語源である「実、農作物」という意味の가살に由来しています。最後に겨울ですが、この時期は農事の暇な季節で、農民が休息できる겨를(暇)がある時期です。겨울はこの移研の語音が変化してできた言葉です。朝鮮民族は、農業を中心に季節の移り変りの特徴を捉えて四季を見事に言い表しました。

(朴点水・朝鮮語研究者)

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