在日本朝鮮文学芸術家同盟

音楽人・金正徹氏を悼む/金正浩

音楽人・金正徹氏を悼む/金正浩

《朝鮮新報》2024年06月18日

「作曲家・元文芸同東京支部副委員長 金正徹同志が2023年11月18日逝去された」

この訃報に接したのは今年5月だった。そして、氏と、昨年6月にご逝去した御母堂様を追悼する会が5月20日、有志により国平寺で行われた。半年も前に亡くなったことも、闘病生活をされていたことも、そしてご家族のことも私は何も知らなかった。以来ずっと胸中にあるのは罪悪感、自責、悔悟である。せめて金正徹氏への想いを綴りたいと思う。

「출발의 아침에(出発の朝)」「가고파(行きたい)」「다시 만날 약속(再会の約束)」「조선의 꽃으로 너를 피우리(朝鮮の花にあなたを咲かせる)」「어린 주인공들에게(幼い主人公たちへ)」などの名曲を遺された作曲家とはまた異なる、畑違いの私だから見ることのできた一面を。

私が所属する劇団アランサムセは1988年の結成から数年間、「文芸同東京(支部)演劇部」という肩書きで活動していたのだが、当時の文芸同東京唯一の専従活動家だった金正徹氏が必然的に劇団の「組織的担当者」であり「組織的窓口」になられたわけである。劇団員に朝鮮大学校教職員や朝鮮新報社記者など専従活動家らが多くいた当時、その所属先の機関との交渉を担ってくださったのが氏であった。名前も存在も知られてなく実績もない「謎の集団」の公演のための休暇願いなどの交渉を、嫌な顔一つ見せず軽やかに、淡々とこなしてくださった。

最も印象深く懐かしいのが、私の選曲に対するリアクション。作品のテーマや場面に合う音楽を主に演出家が選ぶ(※1)のだが、どういう曲をどこで使うのかが腕の見せ所の一つでもあるのだ。ユーチューブもない時代、私は中古レコード店とレンタルレコード店(CDではない。借りたレコードをカセットテープに録音する)に通うのが日課だった。どこそこで聞いたアーティスト、曲名を探すこともあれば、ジャケットのビジュアルイメージや帯の解説だけを頼りに手あたり次第買ったり借りたりして、家で聞いてがっかりしたり喜んだりを日々繰り返していた。影響を受けたり憧れていた劇団や演出家が使う音楽を参考にしながら、自分のイメージに合った場面を彩る音楽にかなりの拘りを持っていた「駆け出し」の頃だった。

公演初日の前日、氏は必ず劇場に来てくれて、ゲネプロ(※2)に立ち会ってくれた。そしていつも感想は一つ、私の「入魂」の選曲についてのお褒めの言葉であった。

「かーっ、今回もまた音楽がいいねえ。どこから持って来たんだ」

毎度毎度定番の決まり文句に、劇団員皆で笑いあったものだ。どうか私の自慢話だと受け取らないでいただきたい。機関との交渉然り、私へのお褒め然り。氏の活動、姿勢に通底していたものが、後輩への、若い世代への激励、後世たちの背中を強く押してくれることだったと、今更ながらに思い至るのである。氏は、当時の私にどれだけの自信を与えてくれたことか。自身が専門とする音楽についてのうんちくを一切語ることなく、後輩を褒め後輩たちが(今思えば)無手勝流に創る舞台を褒めて、継続していく自信と力を与えてくれたあの頃の氏の言葉と姿が、氏の生涯を貫く姿勢だったのだと、今しみじみ、悲しみとともに思い返される。

「ウリウリ! コッポンオリ!」は今も大人気だ(昨年3月、大阪)

そんな氏の想いと生き様が最もストレートに表現された大きな(貴重な、と言う意味で)、それでいて知る人が多くない仕事が、「ウリウリ! コッポンオリ!」の音楽監督であったと思う。

在日本朝鮮青年商工会(青商会)結成10周年を機に立ち上げられた「コッポンオリクラブ」製作のウリオリニ向けDVD「ウリウリ!コッポンオリ!」の脚本・演出を任された私は、音楽制作ユニット「JC工房」代表になられていた氏と再会した。初対面のスタッフが多い中、要の音楽担当が気心しれた金正徹氏だったことが本当に大きな安心感を与えてくれたし、すべての制作過程に染み渡る氏の人となり、才能と心遣いがその安心感の円をさらにさらに大きくしてくれた。

オープニングテーマは音楽プロデューサーの立場にあった氏の作曲である。CGデザイナーと私で絵柄やストーリーを決める前、つまり何も決まってない状態で「オープニング創ってみた。こんな感じでどう?」と聞かされた曲に唸った。「ウリウリ! コッポンオリ!」というタイトルもまだ決まっていなかったと記憶しているが、創ろうとしている総体のイメージを的確に、鮮やかに、朗らかに描き出してくれていた。音楽センスだけではない、文字通りの次世代、未来を担うオリニたちへの想いに溢れた氏だからこその楽曲だと痛切に思う。その想いがタイトルになった、氏の代表曲とも言える「어린 주인공들에게(明日の主人公たちへ)」をエンディングテーマに決めた時、「気を使ってくれてありがとう」と感謝されたのには驚いた。至極当然の選曲で気なんか毛先ほども使うはずないのだが、自作曲をどうかと打診したり自薦する考えを露ほども持たない、本当にそんな人だった。

DVD、CDの制作過程で氏が最も喜んだのが、朝鮮大学校保育科の金峰華先生との出会いだったろうと思う。当時、そして今も、日本で生まれ育つウリ幼児のためのウリマルの歌が圧倒的に少ない。創る人がいないのだ。

唯一とも言える作り手が金峰華先生で、「ウリウリ! コッポンオリ!」に収録されている民謡、童謡、外国曲以外の歌のほぼすべてはかのじょの手になるもの。収録曲を決めていく打ち合わせの場で初めてそれらの歌と出会った氏の、「こんな先生がいるんだ~」と嬉しそうに驚いていた表情と声がつい先日のことのように思い出される。オリニをテーマにした曲は多数あれど、オリニが歌うオリジナル曲が皆無だった時代、少し大げさな表現かもしれないが、宝石か明けの明星を見つけた思いではなかったろうか。

自分が、ではなく自分が望むことをやってくれる後世の存在を喜び、激励し、できる限りの助力をする。誰もができる当たり前のことではないと思う。さらに言えば、自身の名を売ることにまったく欲を持たなかったと言えるだろうか。黒子に徹して後輩、若手の才能を引き出し輝かせることが最上の喜び―そんな話を直接したことも聞いたこともない分際で、決めつけてしまっていいのかと躊躇いつつも思う。

来年、「ウリウリ! コッポンオリ!」の20周年を迎える。当時を知らない子たちであるにも関わらず「園児たちがビデオテープが擦り切れるまで観ているのでDVDを送ってほしい」と、ウリハッキョからの嬉しい便りもいただいている。芸術家は死んで作品を残すの言説通り、金正徹氏が作曲、プロデュースした多くの歌と楽曲がこれからも長く永く同胞社会と共に、明日の主人公たちと共にあることを願うばかりである。作曲者の名は知らずとも多くの人が口ずさむことだけを、氏は願うだろうから。私もあの甲高い声で「ジョンホ~いいね~」と言っていただけるような仕事をしていきたいと心に誓っている。

(朝鮮大学校文学歴史学部教授/文芸同中央演劇部長)

(※1)日本の演劇シーンでは座付き作曲家がいてオリジナル曲が創られるケースより映像作品やクラシックの既成曲を使用するケースが多く、特にアングラや小劇場と呼ばれる演劇ジャンルでは圧倒的多数を占める。

(※2)音響や照明、メイク、衣装など本番と同じ条件でノンストップで上演する総仕上げ

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