在日本朝鮮文学芸術家同盟

強制連行真相調査記録に賭けた生涯 / 洪祥進氏を偲んで

強制連行真相調査記録に賭けた生涯 / 洪祥進氏を偲んで

《朝鮮新報》2023.03.23

2009年7月、「在日朝鮮人歴史・人権週間」山口集会で発言する洪祥進氏

優れた研究者であり活動家

洪祥進氏は2022年12月31日肺炎で亡くなられ、2023年1月5日葬儀が行われた。葬儀には多くの同胞と日本の友人が参加され、「痛恨の極み」と悲しみを表し、心から故人の冥福を祈り、遺族と喪主の文圭生夫人(女性同盟尼崎東支部委員長)にお悔やみと慰労の言葉をかけていた。

世間で言われている人生100年時代に比べ、72年は確かに短い生涯だった。だが、洪祥進氏のそれは、閃光のように輝き、人々に惜しまれ、敬慕され、大きな足跡を残し、完全燃焼された生涯だった。優秀な研究者であり、行動力に優れた活動家であり、正義感と人情に熱い人物だった。惜しい人を亡くした。実に大きな損失である。

洪祥進氏のご両親は掃除道具荒物商を営むかたわら、地域の朝鮮人学校を運営する教育会と朝鮮総連尼崎支部の役員として活動するという忙殺される日々の中、ご子息たちの教育にも心を砕かれた。

洪祥進氏は、初級学校から朝鮮大学まで体系的に民族教育を受け、朝鮮大学を卒業後、長らく朝鮮学校で教員生活を送られた。また教員生活と並行して1978 年から5 年間は京都大学教育学部比較教育学講座に所属し、日本の研究者とともに民族学校に子どもを通わす保護者らを対象にしたアンケート調査なども行った。

1982年3月28日に文圭生夫人と結婚、3名の娘を持つことになるが、結婚後、その活動はますます精力的なものになっていく。

洪祥進氏は、真の朝・日善隣友好のためには1910年、日本が強制的に朝鮮を併合し、過酷な植民地支配をした歴史、とりわけ数百万の朝鮮人を日本に強制連行した歴史を可能な限り徹底的に調査・記録し、日本が犯した邪悪な加害の歴史を真摯に謝罪し、誠意を持って補償し、キッチリ清算しなければならないとの信念から、それを自らのライフワークとした。

兵庫における調査記録の第一歩

洪祥進氏は兵朝研(兵庫朝鮮関係研究会)を立ち上げた創設メンバー3人(徐根植、金慶海、洪祥進氏)の中の一人だった。

1983年11月13日、第1回例会が洪祥進氏の家で開かれ、彼が「尼崎の在日朝鮮人史」を報告発表した。徐根植氏(兵朝研代表)は「彼のことを思い出すとき、その企画力と行動力が印象的だ…いつも調査テーマを提案し、実行に導いた」と語っている。

1985年8月に「兵庫と朝鮮人」を出版。引き続き兵庫県内の鉱山の調査を提案……振り返ると当時は朝鮮人強制連行というと九州や北海道など他地域の事柄と捉える傾向があった。そんな考えを振り払って戦時における強制連行・強制労働を兵庫で調べ、1987年8月に「鉱山と朝鮮人強制連行」を出版した。

また、完成直前に日本の敗戦によって日の目を見ることが出来なかった西宮市鳴尾の川西航空機甲陽園地下工場の建設現場にある地下壕トンネル内に書きこまれた鮮やかな「朝鮮国独立、緑の春」の文字を発見したのは、鄭鴻泳さんと洪祥進氏、兵朝研メンバーだった。

その文字とトンネルを掘るための発破穴とノミを撃ちつけた痕跡からは、2,000名以上の過酷な強制連行と強制労働があったこと、そして祖国解放後、かれらが奴隷の鎖を断ち切って故郷に帰れる歓喜に包まれ、万歳を叫び松明を赤々と掲げ甲陽園一帯を示威行進した情景が読み取れる。

洪祥進氏は1990年5月、東京に活動の拠点を移し、朝鮮人強制連行真相調査団としての活動を始め、1992年10月には朝鮮人側中央本部事務局長に就任した。

25都道府県で現地の同胞、そして心ある日本の市民らと協力し、強制連行真相調査団を結成、そして、強制連行名簿収集とその公開のための活動を強力に推進した。

結果、延べ277万6千名に上る名簿を主だった都道府県で公開し、市民の閲覧に供した。名簿公開は平壌とソウルでも実現させた。日本政府による調査の問題点を暴露し、再調査を迫ったこともあった。強制連行被害者の未払い金を暴露し、南朝鮮の被害者たちの法廷闘争を本格化させる契機もつくった。

国連における精力的な活動

日本国内だけでは、たとえ裁判をしても埒があかず、朝鮮人強制連行の真相究明と補償問題は解決が難しいと考えた洪祥進氏は、この問題を国連人権委員会に持ち込み国際化することを決心した。

1990年5月に国連人権小委員会(当時)に参加。以降、国連に24回参加、発言50回、会議企画20回、これらの集まりに参加した国連関係者延べ数は約1000名、参加国300カ国に上った。強制連行や強制労働だけでなく、慰安婦(性奴隷)問題、遺骨返還問題、民族教育への迫害(チマ・チョゴリ事件)と朝鮮学校への制度的差別(高校無償化、幼保無償化対象からの除外)問題などを各委員会への個別訪問、ビデオ上映、スライド・写真展示、街頭示威、講演などを通じて粘り強く訴えた。

2004年3月の国連人権委員会では、南の大統領と日本の首相が合意した朝鮮人強制連行被害者遺骨調査帰還問題を日本政府が何の対策もなく一部企業にだけ連絡し、形式的に進めていることを暴露した。そしてそれを公開的、全面的に実施すべきであることをNGO(非政府機構)集会でのビデオ上映などで提起した。その後、5月20日付の朝日新聞に日本政府が企業だけでなく地方自治体にも正式要請したという記事が出た。調査団の強力な国連活動の結果である。

かれが数々の成果を上げた最大の要因は何か。他人を思いやり、寛大で他人の間違いを許し、進歩しようと努力し、目標に向かって挑戦し、礼儀礼節を守り、人から尊敬される洪祥進氏の人間性にあると私は思う。

彼は、品性が謙虚で協力者に対する尊敬の念を忘れない愛と人情味の持ち主、何時も笑顔を絶やさないながらも、原則を固く守る正義感と強靭な意志の持ち主であった。そして調査研究活動においては情熱、誠実、学究的であり、冷静な検証力の持ち主でもあった。

そんな洪祥進氏のまわりには不思議と人が集まり、アドバイスや助言、協力の手を差し伸べてくれたものだ。

強制連行真相調査に大きな役割を担ってくださった日本人学者、弁護士、研究者、市民運動家は数知れず、また、多士済々である。

再度、故洪祥進氏の冥福を祈り惜別の言葉に代える。

(安致源  兵庫県強制連行真相調査団朝鮮人側団長)

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