〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 13〉

日校出身生を教える(일교출신생을 가르치다)

《朝鮮新報》2021.05.29

(コラージュ:沈恵淑)

大学を卒業して3年目の1972年4月から1977年3月まで、일고출신생(イルギョチュルシンセン・日本高校出身生の縮約語)の국어(クゴ・国語・朝鮮語)を教えることになった。

当時は、毎年30名前後の日校出身生が朝大に入学してきた。朝大では、毎年4月中旬から7月末まで日校出身生の「ウリマル習得100日間運動」が繰り広げられる。この期間に日校出身生は一日中ウリマルのシャワーを浴びることになる。

私は最初、ウリマルを初めて学ぶ日校出身生たちを教えるのは簡単なことだと思っていた。ところがいざ教えてみて、大変な思い違いをしていたことに気付いた。

日校出身生の국어の授業は毎日あった。カリキュラムに従って教案を作り授業に臨んだ。放課後には、文学部のウリマル指導員と前日のウリマルの指導内容について総括した後、その日の授業内容、授業で出した宿題、夜に行う復習と予習の内容などの打ち合わせをする。指導員がよく理解できない授業内容や復習、予習の内容はその場で教えることになる。ときには2~3時間かかることもあり結構大変な仕事だった。

ウリマル指導員たちは、発音や文字の指導、単語や文の読み書き、決まり文句や簡単な会話の指導などはそれなりに無難にこなした。しかし、作文の添削作業には手間取った。

ことばの習い始めの頃によくあることだが、作文のとき日本語を一つずつ朝鮮語に直訳してしまうので、日本語の影響を受けたおかしい文になる。この文の添削が難しくてうまくいかないのだ。私も指導員とあまり変わらなかった。

ある日の作文の授業だった。日校出身生が私に「忙しくて休む暇もないという文を朝鮮語に訳したいのですが、辞書で暇を調べたら틈(トゥム)、겨를(キョルル)、사이(サイ)と出ていました。どれを使えばいいですか」と聞いてきた。私は「この場合は全部使えそうだね」と答えた。すると、その日高出身生は 「使い方の違いはないんですか」と聞いてきた。とっさの質問にうまく説明できなかった。

아래(アレ)と밑(ミッ・下の類義語)の違い、빨리(パルリ)、어서(オソ)、일찍(イルチク・早くの類義語)の違いは何か。こんな質問は日校出身生からしょっちゅうあった。朝鮮語の類義語の意味や使い方の違いがよくわからなくて何度も冷や汗をかいた。

また、あるときは日校出身生に、손등(手の甲)は[손뜽ソントゥン]と発音すると教えると「손발(ソンバル・手足)は平音に発音するのに、どうして손등は濃音に発音するんですか」とその理由を聞いてくる。答えられないときは朝鮮語研究所所長の朴正汶先生に教えてもらって学生に説明した。お蔭で先生から朝鮮語発音法について一から詳しく学ぶことができた。今もそのときのノートが手元にある。

こんな質問もあった。「日本語では、私のお母さんと言うのにどうして朝鮮語では우리 어머니(ウリ オモニ・私たちのお母さん)と言うんですか」。私は内心「えっ?!」と驚いた。普段、何気なく使っていることばだが、そんな疑問を持ったことがなかったからだ。私は「よくわからない。これは、トンムが私にくれた宿題だ。しっかり調べてから答えることにする」と答えた。こうして答えを求めて参考書探しが始まる。当時は朝鮮語の入門書や参考書がほとんどなかった。また、今のようにインターネットが普及していた時代でもない。大学の図書館にこもって資料を探したり本屋にも行った。運よく探し出せたらそれを参考にして学生たちに説明した。「ウリ」の資料もこのようにして探し出した。

学生が出す宿題は途切れることがなかった。難問にぶつかるたびに霧に包まれた朝鮮語の森をさまよっている気分だったが、解決したときの爽快感は格別だった。いつしか新しい知識を得ることが喜びとなった。知識に触れることが楽しくなり調査することが苦にならなくなった。これをキッカケに類義語や慣用表現、故事、ことわざ、語源などに目が向き、日本語には見られない朝鮮語の世界、ウリマルに宿る歴史や文化的背景に強い興味を持つようになった。

日校出身生にウリマルを教える過程で朝鮮語の基礎・基本を知った。そして、この知識が私の朝鮮語教育の礎となった。

私は、日校出身生にウリマルを教えながら朝鮮語の発音規則を図表化した資料集を作った。また、単語を教えるときは、その単語と結合可能なことばを一緒に教える学習方法が効果的だということに気づき、連語(例:키가 크다―キガ クダ・背が高い)や慣用句(例:발이 넓다―パリ ノプタ・顔が広い)、慣用表現(例:-기 전에―キ ジョネ/~する前に)などの資料作りもした。朝鮮語辞典の例文から主語+述語、補語+述語、状況語+述語の単語結合を取り出し、実例単語結合集も作った。

私は日校出身生を通して、教えることは学ぶことであることを悟った。質問に答えるための調査が、私を教員として成長させてくれた。学生の質問は、朝鮮語という宝物を探す私の大切な案内図となった。

「教えて育てること」を教育と言う。知識や技能、先進的な教授法などを手段にして学生を教えることで自主性、創造性、意識性を持った社会的存在としての人間を育てること、これが教育だ。質問に真摯に向き合い、教師が調べてきた知識を伝える姿を学生に見せることで彼らに人を信じる心を育む。これもまた教育だと思う。

가르치다の語源

가르치다(教える)の語源は、この語の成り立ちを見ればわかります。가르치다は가르다と치다が合わさってできた言葉です。가르다には包丁のようなもので「割る、割く、裂く」という意味があります。また「(是非を)分ける」「(ものを)分類する」「(良し悪しを)見分ける・識別する」という意味もあります。가르치다の가르다は後者の意味を持ちます。치다は돼지를 치다(豚を育てる・飼う)、

새끼를 치다 (子を産む) 、꿀을 치다(蜜を作る) で見るように「育てる、飼う、産む、作る」という意味を持つ言葉です。科学とは、一定の目的・方法のもとにいろいろな事象を研究する認識活動ですが、その認識活動は分類から始まります。自然界や社会の様々な現象や物事を教えることを「가르치는것(分類すること)」ととらえた朝鮮民族の秀でた洞察力を가르치다という言葉から見て取ることができます。가르치다とは、まさに「分類した科学的な知識をもとに人を育てる」ことなのです。

(朴点水・朝鮮語研究者)

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