〈民族教育と朝鮮舞踊18〉「在日朝鮮学生少年芸術団」ソウル・全州公演(2002年9月2~9日)

〈民族教育と朝鮮舞踊18〉「在日朝鮮学生少年芸術団」ソウル・全州公演(2002年9月2~9日)

《朝鮮新報》2022.07.28

「異国に咲く朝鮮の花」

「在日朝鮮学生少年芸術団」仁川空港での歓迎レセプション(2002.9.2、中央左が金相賢議員、中央右が具大石団長)

歴史的な2000年「6.15北南共同宣言」は、わが民族に統一への期待を与えてくれたばかりか、在日同胞の生活にも劇的な変化をもたらした。

祖国統一への期待が膨らむ中、分断史上初めて「在日朝鮮学生少年芸術団」が南朝鮮を訪問し、ソウルと全州で芸術公演が行われることになった。

主催は「韓国青少年サラン会」(理事長-金相賢)と韓国文化放送(MBC)である。金相賢氏は1993年11月、南の国会議員としては初めて総聯中央本部と朝鮮大学校を訪問した著名な政治家である。主催者側は2002年7月5日に総聯中央側と公演に関する合意をし、11日には公演関係者たちで初協議、16~17日にはMBC放送局、月刊誌「民族21」、ソウルと全州の芸術高等学校(賛助出演)との実務者協議が行われた。そして19日には芸術団引率スタッフ(団長-具大石東京中高校長)が構成され、私は公演担当責任者に任命された。

全州公演のフィナーレ(2002.9.6)

総聯中央の指導の下、公演の内容とそれに伴う演目の選定にとりかかった。器楽と声楽は、平壌音楽舞踊大学通信生たちに決まり、祖国での受講の合間に準備を行った。問題は舞踊である。協議の結果、中央芸術競演大会で優秀な成績を収めた学校と作品を選び、在日朝鮮学生の生活感情を表現した作品と民俗舞踊作品を修正、または創作することになった。「五太鼓とパラ(哱囉)」、「フェオリ(つむじ風)」(東京朝高3年生23人)、「希望はカバンの中に」(尼崎朝中2,3年生及び神戸朝高1年生の16人)、「われらのチャンダンがいい(サンモチュム)」(生野初級の12人)の4作品に決まった。

芸術団は民族器楽に15人、声楽に8人、舞踊に51人、司会者(東京第3初級の5年生)の計75人に、指導引率スタッフ15人を含めて総勢90人で構成された。器楽と声楽はピョンヤンで、舞踊は各学校で練習をした。8月29日に初めて全員が集まって合同練習を行い、9月2日に日本を出発した。

プログラム(演目紹介のページ)

「在日朝鮮学生少年芸術団」の公演は「ソウル教育文化会館」(4日)と全州「韓国ソリ文化の殿堂」(6日)で上演された。公演のタイトルは「異国に咲く朝鮮の花」。異国で生まれ育った在日朝鮮学生たちが民族教育の中で民族愛・祖国愛を育み、芸術サークルを通じて豊かな民族性を培ってきた自負心と矜持を音楽舞踊アンサンブル公演として形象した。

金相賢議員との記念写真

私は、この公演が南の同胞たちにどのように受け入れられるか、その重責に押しつぶされそうであったが、ソウルでの初演でその憂慮は一気に吹き飛んでしまった。「ソウル教育文化会館」には一千余の客席に二千余人が集まり、上演時間が30分も遅れてしまった。階段や通路に立ち見客がでるほど大盛況で、会場内は立錐の余地もなかった。

ピンクのチマ・チョゴリを着た可愛らしい児童が挨拶のため舞台に出たとたん、場内からどよめきが起こった。児童はあまりの緊張に、舞台の袖に戻って来てしまった。司会を指導していた私は戻った児童を落ち着かせて、再び舞台中央に向かわせた。大きな拍手の後に静まりかえった会場。観客は、幼い司会者が何を話すのかに耳をすましていた。そして、流暢なウリマルで話しクンジョル(큰절)が終わるや否や、場内から割れんばかりの拍手喝采が湧き起こった。舞台袖の私の目からも涙が溢れていた。

公演は、一糸乱れぬアンサンブルと民族情緒豊かな「五太鼓とパラ(哱囉)」で始まり、カヤグム二重奏、民族楽器重奏、女声重唱と映像、独唱などの8演目に、賛助演目が行われ、フィナーレは全員で「ウリヌン ハナ」、「また会いましょう」を歌った。観客たちは時には目に涙をうかべ、時にはワー!と大歓声を上げながら手拍子をした。最後の挨拶では、公演参加者と観客が一体となり、会場は「涙の海」と化した。全州でも二千席に二千五百余人が集まり、感動と、涙と、統一への思いで拍手が鳴りやまなかった。「日本で民族の魂を守る生徒たちは民族の財産だ」「幕が上がった瞬間から民族の同質性、統一への願いに満ちていた」「芸術専門学校に引けを取らないほど素晴らしかった。差別と蔑視に屈せず、民族教育を今日まで守って来た在日同胞に敬意を表したい」等の感想が続々と寄せられた。

送迎会で芸術団と一緒の金相賢議員(中央)と韓相烈牧師(右)

在日朝鮮学生のソウル・全州公演のコンセプトは、「하나(ハナ)」すなわち「統一祖国」であった。「民族の運命と在日朝鮮人の生き様は同じ」、統一祖国で花開かれるであろう在日朝鮮学生のありのままの姿を披露できた。南では民族教育に対してほとんど知られていなかったが、たとえ日本で生まれ育っても、同じ民族の血を分け受け継いだ同胞子女であることを堂々と誇示し、祖国統一の橋渡しをする使節団の役割も立派に果たした。

公演の成果は紛れもなく6.15がもたらしたものである。民族教育のためにあらゆる恩恵をくださった主席と総書記の配慮の賜物であり、在日一・二世が苦難を乗り越えて創り営んできた民族教育が正しかったことを証明したのである。

金相賢議員は朝鮮大学校を訪問した際に、「金主席は先見の明がおありで、海外にまで大学を建設された。朝鮮大学校は、南北の政府がともに支援するべきだった」と語っていた。一人でも多くの南の同胞に、在日同胞の民族教育を知らせたいとの思いから公演を企画したと話していた言葉が、今でも耳に残り心に響いている。

朴貞順(朝鮮大学校舞踊教育研究室室長)

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