〈戦時文学から見る朝鮮戦争 1〉なぜ今「戦時文学」なのか

〈戦時文学から見る朝鮮戦争 1〉なぜ今「戦時文学」なのか

《朝鮮新報》2023.03.16

私たちは今年、朝鮮戦争の停戦協定締結70年を迎えてしまった。

朝鮮民主主義人民共和国において1953年7月27日は戦争勝利の日として記念されている。朝鮮半島全土が戦場と化した3年間の苛烈な戦いに「撃ち方やめ」をもたらし、朝鮮半島北部を強大な米帝国主義から守り抜いたことは、まさしく勝利といえよう。

一方で、停戦は戦闘行為を停止しているに過ぎず、この70年は、いつ戦争に発展してもおかしくないような不安定で緊張した時間の連続であった。つまり、今なお朝鮮民族は統一を成し遂げられていないばかりか、死と隣り合わせの「戦時」下を生きている。ゆえに70年を「迎えてしまった」なのだ。

だが、しばしばこの現実は忘却される。現在、東アジアの軍事的緊張は危険水位に達しているが、朝鮮の核ミサイル開発のみが「異常な国」の「狂った行動」として一方的に非難されている。現在進行形である朝鮮戦争の重圧がどのようなものか、いまだ終結しない朝鮮戦争とは何か?——世界はこの問いに対して真摯に向き合うべきであろう。

このような状況で、朝鮮戦争の実体を明らかにする努力が積み重ねられてきたことは、称賛に値する。だが、えてしてそれは冷戦の論理から米国やソ連、中国という大国の物語となるか、政治・軍事の物語になりやすい。

実際に戦った朝鮮人民はどのような想いを抱いていたのだろうか?

これを実証するのはとても容易なことではないが、当時を生きた人間や社会状況が反映された戦時文学を通じて紐解いていきたい。

その時、作家たちは
平和擁護世界大会に参加する韓雪野(写真中央、出典はいずれも米国立文書記録管理局(NARA)所蔵・国立中央図書館デジタル化資料)

開戦からさかのぼること1年前、北朝鮮文学芸術総同盟の委員長であった作家・韓雪野はフランスのパリにいた。14日もかけてこの地に赴いたのは、平和擁護世界大会(1949.4)に参加するためであった。第二次世界大戦の終結後、米国の核独占と新しい戦争危機に抵抗する平和運動の一環であったこの大会に、韓は朝鮮代表団の団長として参加し、演説まで行ったのである。

帰国後の帰還報告で韓は、「わが国において平和擁護運動の当面の問題は直ちに米軍を撤退させ反動輩を処断し、祖国の完全な統一独立を完成させること」であるとした。平和のためには統一が不可欠であるが、そのどちらも米軍が撤収しない限り成しえない——多くの作家たちはペンを走らせ、米帝国主義を批判し「平和的統一」を訴え続けた。植民地時代、あれほど願った主権国家の樹立。予期せぬ分断によって抑圧されたかれらの願いは、統一に対する熱情に変わった。

そして戦争が勃発する。開戦直後の1950年6月26日、27日には、多くの作家が軍服を着て、戦線に立った。従軍作家の数は最低でも49人、南の資料によると100余人程ともいわれている。この隊列には、解放後の南朝鮮地域で米軍政の弾圧を受け、自ら北へ渡った越北作家たちの姿もあった。銃後に残った作家もいたが、無差別的な爆撃と広範囲における地上戦を考えると、かれらも戦う作家であったといえよう。

従軍作家らの作品などを掲載した『戦線文庫』第1巻(編・韓雪野)

戦火の中で作家たちは、人民の戦いを芸術的に記録し、それがさらに戦いを鼓舞するものになることを願った。作品は『戦線文庫』(第1巻は1950年8月25日発行)として出版され、また、労働新聞などの各種新聞や文芸総機関誌『文学芸術』(50年8号で停刊、1951年4号から復刊)にも掲載された。

祖国解放戦争を戦った朝鮮文学

前提として、戦時文学にすべてが「ありのまま」描かれているわけではないであろう。例えば、厭戦気分を描くことは、いかなる国家であろうと困難である。

だが、単なるフィクションであると軽視すべきでもない。停戦から2年後。評論家の厳浩奭は、祖国解放戦争の勝利に貢献した文学が「戦争の行程で発揮された朝鮮人民の熱烈な愛国主義思想に鼓舞され、また、それを内容に反映した文学」であったと回顧した。朝鮮人民の姿に鼓舞された文学としているが、それはつまり作家たち自身が人民の姿に鼓舞されたということである。

金日成主席は、戦争の重要な局面ごとに作家たちと会い、文学芸術における指針を示した。

特筆すべきは、停戦交渉がはじまる頃の1951年6月30日の談話内容である。

主席は人民の中から生まれた数多くの英雄を描くべきと強調した。その英雄とは、昨日までの労働者・農民・事務員・学生・その子弟であり、作家たちがかれらの豊かな感情と人間性、高尚な思想と信念、実直で素朴な行動をありのままに描きだせば、今日のわが朝鮮の英雄となるであろうと述べた。

これまで世界の英雄は、往々にして伝説的で非凡な人間として描かれてきたが、朝鮮の英雄はみな平凡な人間であったのだ。だからこそ、作家たちはその人民が発揮する驚くべき力——それは「大衆的英雄主義」とよばれた——を偉大なものとして仰ぎ、作品にあますことなく反映した。

このような戦時文学、特に小説を俯瞰してみると、戦争の経過とともにその特徴が変化している。それは厳しい戦争の中、平凡な人民たちが戦士に成長していった過程として捉えられよう。また、それは現在の朝鮮と人民を理解する鍵となるのではないか。

次回から、小説を中心にすえて英雄的人民の姿に迫りたい。

(洪潤実 朝鮮大学校文学歴史学部助教)

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