【寄稿】コロナ禍の朝大定期演奏会/任正爀

《t朝鮮新報》2020.12.23

ストーリーを奏でる管弦楽

第41回朝鮮大学校定期演奏会が12月7日にルネ小平(東京都小平市)で行われた。昨年の記念すべき第40回演奏会は「近畿地方朝鮮学生と同胞たちと共にする特別演奏会」として、東大阪市文化創造館で開催された。指定席、自由席ともに完売という盛況で、演奏者と聴衆の心が一つとなった感動的な演奏会であった。

第41回朝鮮大学校定期演奏会が12月7日にルネ小平で行われた

今年は関東地方の朝鮮学生と同胞たちのためにと、東京都北区の北とぴあでの開催が予定されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大によって中止を余儀なくされた。それでも出演者、関係者の尽力によって開催に至ったが、残念ながら年末の風物詩ともいえる交声曲「鴨緑江」は演目から外されざるをえなかった。

「響け、わが大学交響曲」と銘打たれた第41回演奏会を一言で表現するのならば、「ストーリーを奏でる管弦楽」であった。それは、それぞれの楽曲にストーリーがあると同時に、全体としても一つのストーリーを感じたからである。その意図したものこそ、コロナ禍で苦労を強いられる在日同胞たちへの激励のメッセージだろう。

演奏会はまずコロナ禍に負けじと「かけだそう、未来へ」の軽快な吹奏楽から始まり、次に民族管弦楽「チョゴリ―われらの翼」「春が来た」となった。「チョゴリ」はウリハッキョ関係者のなかではよく知られた曲らしいが、筆者は初めてであった。民族楽器による音色は主題に相応しい旋律であったはずなのだが、あまり思い出せない。名曲でも初めて聴く曲は、素人にはその真価はわからないが、この「チョゴリ」も同様で慣れ親しむうちに自分にとってもスタンダードな曲となっていくのだろう。次の映画の挿入曲「春が来た」がまさにそうであった。
次の吹奏楽「われらの国旗」は朝鮮のテレビ放送で連日のように流れる荘厳な曲で、その世界観は十分に伝わったと思う。

ここまでが前半で、後半は管弦楽「なつかしき故郷のわが家」「青山の野に豊年は来る」の2曲である。前者は戦火で焼かれた故郷に思いを残し、戦線に向かった兵士が再び戻って故郷を楽園に築いてみせるという心情を主題にした楽曲である。重厚な管弦楽はそれを十分に表現し、それはコロナ禍に打ち勝つ勇気を与えてくれる演奏でもあった。

続く、祝祭の楽曲「青山の野に豊年は来る」は、農楽舞「万豊年」の合唱曲としても広く知られた名曲であり、曲中に民族打楽器・ケンガリが出てくると思わず膝を叩いて拍子をとってしまうのは筆者だけではないだろう。この曲の聴きどころは、後半パートのチャンセナプの独奏であるが、実は筆者はその前の呼び水ともいえるところが好きである。前半のパート演奏が終わった後、ある旋律を様々な楽器が音色を重ね合わせ、それが一つになったところでチャンセナプの独奏となる。むろん、チャンセナプの独奏は素晴らしい。当日は演奏が終わった後、このパートからのアンコール演奏が行われ「指揮者も粋なことをするな」と思った次第である。

そして最後は、朝鮮大学校の校歌「朝鮮大学の歌」である。指揮は理工学部4年の沈揆生さんだった。そういえば去年も理工学部の申希仙さんが指揮していたなと思い出しながら、歌詞を暗唱した。

「若い胸に希望を抱き校庭に入れば/祖国の愛が満ち溢れ温かく包んでくれる」

思えば18歳の時に朝大の門をくぐり、大学院を経て母校の教壇に立ってから50年近い歳月が流れた。その間、数多くの卒業生を送り出してきたが、なかには朝鮮学校の校長をはじめ、民族教育の現場で奮闘する卒業生、国立大学の教授をはじめ日本の研究機関でその才能を発揮する卒業生、さらに総聯の各機関と同胞社会のなかで活躍する卒業生らがいる。彼ら、彼女らこそ筆者の誇りであり自慢である。私の大学生活も来年3月には卒業(定年退職)を迎える。もっとも、大きな宿題を残していて、気持ちの上では留年であり、来年もおそらく定期演奏会の観客席に座っていることだろう。

今回の演奏会は来年1月に各地の卒業生と在学生たちによる「朝鮮大学の歌」を加えてのオンライン配信が予定されている。それがどのようなものになるのか期待が膨らむ。

今年はコロナに明け暮れた一年であった。誰もがはじめての経験であったが、朝鮮学校では大学も含めて学生たちの為、いち早くリモートでの授業を開始し、改めて民族教育の素晴らしさを内外に広く示した。今年の演奏会はある意味、歴史的であったが、今後も同様の困難があるかもしれない。それでも朝大定期演奏会は、わが大学の交響曲を響かせ、メッセージを発信し続けることだろう。

(朝大理工学部教授)

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