〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 11〉

朝の読書と演劇・詩劇(아침독서와 연극, 시극)

《朝鮮新報》2021.03.28

コラージュ・沈恵淑

大学生活での体験は、私に自分のやるべきことをいろいろ教えてくれた。

朝大生の学習熱、読書熱もその一つだ。教室や図書館はもちろん、中庭の池のほとりや柳の木の下で読書にふける姿、本を読みながら校内を歩く姿、食堂で食事の順番を待つわずかな時間を惜しんで本を読む姿が自然と私の目に飛び込んでくる。そんな朝大生の学習熱、読書熱が私の学習欲に火をつけた。

大学創立10周年記念公演が終わると一日5時間の自習と50ページの読書を目標に月別、週別の学習計画を立てた。

夜の7時過ぎから11時まで自習時間があったので、この目標は無理なく達成できると思った。しかし、朝青文学部支部の宣伝部の仕事をすることになった私は、たびたび組織される夜の会議や壁新聞、ポスター作りなどで自習時間をとられた。そのうえ夜に弱かった私は、毎日のように夜の9時頃から睡魔に襲われ思考停止状態に陥った。私にとって寄宿舎での夜の自習時間はまさに睡魔との戦いの時間だった。そのため学習計画を立てても目標がなかなか達成できない。そうかと言って目標は下げたくなかった。達成できなかった分は早朝や日曜日に埋め合わせた。

1年生の時は、1号館の402号室の畳部屋で3年生と一緒に生活した。毎朝5時から本を読む。夏場は室外でも読めたが、冬は寒いので押入れの中に電気スタンドを持ちこんで読んだ。朝の読書は4年間続けた。

1966年の9月だったと思う。先輩の演劇部の部長が演劇に出演してくれと頼んできた。突然の話で驚いた私は「演劇はやったこともないし人前で演技する自信もありません」と断ったが、部長は「今度の演劇にはどうしても子ども役が必要なんだ。1回でいいから頼む」と何度も頭を下げるので仕方なく引き受けた。あとで知ったのだが、この演劇を韓徳銖議長が女性同盟の人たちと一緒に観覧されるという。それを聞いて後悔したが、引き受けた以上途中で投げ出すわけにもいかなかった。

演劇の内容は、当時南朝鮮で問題になっていた臓器売買の話で、女の子が家族のために自分の目を売るという実話をもとにしたものだった。私は目を売る姉の弟役だ。

台詞はすぐに覚えたが、目を売りに行こうとする姉を止めようと必死になって叫ぶ「누나! 가지 마!(ヌナ! カジ マ!・お姉ちゃん! 行かないで!)」ということばがどうしてもうまくできない。感情注入ができないのだ。いつもこの場面になると演技がぎこちなくなる。部長は失敗を繰り返す私に新聞記事を渡しながら「演じようと思うな。この記事を読んで自分の家族のことだと思えるまで想像力を働かせるんだ」と言って指導した。そんなかいもあって本番を無事に終えることができた。

上演後、韓徳銖議長に関係者が呼ばれた。私たちは褒めてもらえると思った。ところが、議長は開口一番厳しい口調で「今日の演劇は一体何だ。ただ観客に哀しい現実を見せて涙を誘っただけではないか。それでいいのか。重要なのは、この現実にどう立ち向かっていけばいいのかを演じることだ。こんな批判的写実主義のような演劇をしていては駄目だ。もっと勉強しなさい」と言われた。

その時はなぜ批判を受けたのかがよくわからなかった。批判的写実主義ということばだけが頭に残った。のちに授業で批判的写実主義について学び、ようやく批判された意味が理解できた。

翌年、また演劇部の部長の誘いを受けた。今度は詩劇に出演してほしいという。詩劇とは詩形式の台詞による演劇のことだが、朝大ではこの詩劇に散文劇を混ぜて演じるというのだ。詩劇の題材は「항일빨찌산참가자들의 회상기(ハンイルバルチサンチャムガジャドゥルィ フェサンギ・抗日パルチザン参加者たちの回想記)」だ。

当時、総聯組織内では総聯第8回全体大会(1967年5月)後、「抗日パルチザン参加者たちの回想記」読書会、「回想記100回読書運動」が広範に繰り広げられていた。朝大もこの回想記読書運動の先頭に立とうと朝青活動の一環として詩劇を演じることになったのだ。

詩劇で今も記憶に残っているのは「50個の粉袋に込められた愛」「命令は最後まで貫徹しなければならない」「司令部を訪ねて行く道で」「不死鳥」などの作品である。

正直、演劇や詩劇にはあまり関心はなかったが、これを通じたウリマルの勉強に強い興味を持った。発音や発声法、内容の把握の仕方や演じ方などいろいろ学ぶことが多かった。

朝大で回想記の学習が展開されてから早朝に回想記を一日一題ずつ第1巻から読むことにした。回想記を全巻読み終えると「인민의 자유와 해방을 위하여(インミヌィ チャユワ ヘバンウル ウィハヨ・人民の自由と解放のために)」「인민들속에서(インミンドゥルソゲソ・人民のなかで)」も全巻読んだ。

私は、朝の読書を通じて毎日抗日パルチザン参加者と対話することができた。彼らの体験や考えに触れることで自分の弱さや足りなさを自覚し、それに打ち勝つ素晴らしい精神的糧を得た。そして、それを鑑にその日の目標を立てることで良い一日のスタートを切ることができた。

回想記は、不屈のパルチザン精神、白頭の革命精神と必勝の信念を私たちの心に刻み、立ちはだかる難関を乗り越えていく勇気と力を与えてくれる人生のバイブルである。

아침の語源

아침という言葉をさかのぼると 「ㅇ・△(ア)」と「ㅊ・ㅁ(チャム)」という古語にたどり着きます。아침は、この二つの語が合わさったものです。「ㅇ・△」は、처음(最初)や 시작(始め)という意味に用いられていました。このことは現在も一部の地方で「ㅇ・△」の現代語である아시という方言が처음または첫차례(一番目)という意味に使われていることからもわかります。아시の古語が「ㅇ・△」であることは、その変遷過程ですでに消滅した「・」音が「ㅏ, ㅡ」に、「△」音が「ㅇ, ㅅ」に変化した事実からも知ることができます。「ㅊ・ㅁ」は、現代語の참と同じで동안(間)や때(時)という意味を表す言葉です。아침という言葉は、その語形から見ると「ㅇ・△ㅊ・ㅁ」から「아ㅊ・ㅁ」、そして「아참」と用いられ現在の「아침」に至ったものです。その意味は처음때(最初の時)すなわち、「物事の始まり時」を意味しました。ここから「一日の始まり」という意味も表すようになったのでしょう。

(朴点水・朝鮮語研究者)

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