ウリマルを考える⑨南朝鮮の英語公用語化論を考える

ウリマルを考える⑨南朝鮮の英語公用語化論を考える/朴宰秀

《朝鮮新報》2023年03月06日

2000年を前後して南朝鮮で英語の公用語化論争が起こりました。英語公用語化をめぐる賛否両論は、大きく世界主義対民族主義の主張に分かれて展開されました。南朝鮮で英語を第2公用語にしようという火種は今もくすぶっています。今回は、南朝鮮での英語公用語化論を考えてみることにします。

くすぶり続ける英語公用語化論

南朝鮮で英語公用語化を初めて公に提起した人物は小説家の福居一(복거일)です。彼は1998年、著書『国際語時代の民族語』で、「グローバル化のためには民族主義と民族の言語を捨てて『韓国語』を英語に代替しなければならない」と主張し、「『韓国語』の代わりに『国際語』の位置にある英語を『韓国』の公用語として採択すべきだ。これに反対するのは閉鎖的な民族主義であり、国家発展を阻む要素になりうる」と批判しました。これが朝鮮日報を通じて報道され、英語公用語化に対する賛否論争に火がつきました。

英語公用語化論争はインターネットにまで広がり国語関連団体や学者たちが英語公用語化の主張を強く批判しました。

それからかなり歳月が経ちましたが、この問題は今も依然として南朝鮮でくすぶり続けています。

福居一を始め大半の賛成論者は、英語公用語化問題を経済の競争力向上の次元で論じています。福居一は「グローバル化時代に言語の障壁による莫大な損害を最小化しなければならない。米国主導のグローバル化時代に弱小国として国家競争力を向上させる現実的方案は英語の公用語化で、これだけが『生きる道』だ」と主張しています。

賛成論者は、インターネット情報の80~90%が英語だという点を挙げたり、英語を使う人口が全世界に10億人以上いるという点を強調します。英語使用能力が国家と個人の競争力を高めるので、すべての国民が幼い頃から英語を第2公用語として身につけられるようにしようというのです。

福居一の主張は、南朝鮮での激しい批判にもかかわらず、多くの人々の間で支持を得ているのが実情です。実際、1998年7月の英語公用語化に関する第1回論争当時、朝鮮日報が実施したインターネット賛否投票で賛成意見が45%ありました。また、1999年11月の教育放送(EBS)での討論後の視聴者世論調査では62%が賛成しました。こうした世論調査の結果は、南朝鮮の人々がいかに英語事大主義に染まっているのかを如実に物語っています。

沈黙していた英語公用語化論争は、2001年5月14日、民主党が済州国際自由都市推進計画案を発表し、英語を済州道の第2公用語として推進すると明らかにしたことで再燃します。

しかし、多くの反対にあって済州道内で英語を第2公用語として公式化するという案を暫定的に保留したのですが、2005年10月20日、教育人的資源部と職業能力開発院が共同主催した第2回国家人的資源開発基本計画案公聴会で仁川、釜山、慶尚南道鎮海、全羅南道光陽の経済特区と済州国際自由都市で英語を公用語として使う方案が提示され、またも物議を醸しました。南朝鮮でのこのような動きはなかなか収まりそうにありません。

このような状況の中、南朝鮮ではいくつかの英語村が開園されました。

英語村とは学生たちの英語教育のために作った小さな村のことです。南朝鮮で初の常設英語村としてオープンしたのが京畿道安山英語村(安山市大阜島、2004年8月)ですが、経営上の困難により2012年12月に廃業しました。2番目はアジア最大級の坡州英語村(京畿道坡州市炭縣面、2006年4月)で、3番目は楊平英語村(京畿道楊平郡龍門面、2008年3月)です。

英語公用語化がもたらすもの

南朝鮮での英語公用語化論の主な要旨は、国際化・グローバル化時代を迎え、国家競争力を高めるためには英語を公用語化し、全国民が母国語のように英語を駆使できるようにしようということです。

公用語とは、一国の中で公式に使われる言語のことです。公用語は、言語が複数使われている国では必要ですが単一言語国家では必要のないものです。

公用語は公用文書に使う言語で、英語を南朝鮮の第2公用語にすれば、公用文書はすべてハングルと英語で作成しなければならなくなります。これが不要なことは、すぐに分かるはずです。

「ウリマル」という一つの言語だけでも十分に意思疎通ができ、社会的機能を立派に果たしているにもかかわらず、あえて英語を公用語にするということは大問題です。

英語公用語化賛成論者たちには国の歴史や文化、統一は眼中にありません。彼らは、英語を公用語化すれば学問の水準が上がり経済的恩恵をうけると思っていますが幻想に過ぎません。実際は自主性、民族性の喪失と経済的負担を負うだけで行き着く先は国力の弱体化と民族の消滅です。

英語を学ぶことと英語公用語化はまったく別次元の問題です。

英語が必要ならば外国語としての言語教育を充実させ、教員たちの英語駆使能力を向上させるなどの対策をしっかり講じればいいことであって、公用語にすることではありません。

言語は単なるコミュニケーション手段ではなく、民族の歴史と伝統、文化を創造する重要な武器です。民族語は、民族性を固守発展させることで民族の魂と尊厳を育みます。ウリマルを失うと朝鮮民族の魂と尊厳、民族性を失い、ついには民族の滅亡をもたらします。一時、中国を支配していた満州族が漢族に同化され民族自体が消滅してしまったのは、まさに彼らが言語を失ったためです。日帝時代、日本が朝鮮を完全な植民地にするために最も力を入れたのも、ウリマルとハングルの抹殺でした。

英語を公用語にすれば、民族の自主権と尊厳を失い民族消滅の危機を招きます。

自主性と尊厳を失った人間は、民族的矜持と自尊心を持つことができず、自分の力が信じられなくなり他人や他国にへつらいながら生きていくことになります。

もし済州道で英語を第2公用語として採択すれば、済州道民は英語圏の人間に同化されてしまいます。済州道で英語を公用語化するということは、済州道を自ら英語圏の植民地にすることを意味します。

一言でいうと英語公用語化論の本質は、世界主義を装った帝国主義であり事大主義であり民族抹殺論です。

また、その本質は、英語公用語化がもたらす言語の異質化により祖国と民族の分断を固定化し、祖国統一を妨げることです。

祖国と民族の統一という観点で、この重大事を問題視する人が南朝鮮にほとんどいない状況は憂慮に堪えません。

ウリマルを守ることは祖国と民族の統一への道です。

経済力・国力のある国とは「英語力のある国」ではなく「自国の言葉をしっかり守り、発展させている国」だという現実を直視すべきです。

【プロフィール】1970年、朝鮮大学校文学部卒業。同校で48年間勤務。文学部及び文学歴史学部学部長、朝鮮語研究所所長を務める。東京外国語大学、関東学院大学、京都造形芸術大学で非常勤講師を歴任。現ハングル能力検定協会相談役。朝鮮民主主義人民共和国教授、言語学博士。

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