〈戦時文学から見る朝鮮戦争 4〉戦争第二・三段階の文学

〈戦時文学から見る朝鮮戦争 4〉戦争第二・三段階の文学

《朝鮮新報》2023年06月24日

占領期の経験から創られた人民の精神

米軍の仁川上陸(1950・9・15)によって朝鮮人民軍は命懸けの戦略的後退を開始した。戦争第二段階(9・16~10・24)の間、朝鮮北部までも米軍に占領された。この期間に小説が発表された記録が見当たらないことから混乱の様子がうかがえる。中国人民志願軍の参戦後巻き返す戦争第三段階(10・25~1951・6・10)に発表された小説を見ると、占領期の経験が戦時小説の内容を一変させたことがわかる。

女性作家が描いた女性英雄

朝鮮で初の女性共和国英雄となった趙玉姫。黄海道(当時)碧城(ピョクソン)郡の女性同盟委員長を務めたかのじょは、故郷に危機が迫ると指南山人民遊撃隊に入隊してパルチザン闘争を展開した。50年11月、不運にも米軍に逮捕され拷問の末に処刑された。

初の女性共和国英雄となった趙玉姫

驚くべきことに、かのじょの死から半年後、「趙玉姫」という小説が発表された。作者は女性作家の任淳得。それまで戦時小説では女性はまったく登場しないか、副次的存在として描かれた。ゆえに、任淳得は戦う女性を主人公に据えたのであろう。女性英雄はどのように描かれたのだろうか。

息子と母親と別れ、遊撃隊に入隊した玉姫。「君は女性の身だ。それに幼い子どももいるのだから、安全な後退をしなさい」と言う郡党の同務たちを必死に説得した。また、郡一帯の解放戦闘を提起する玉姫に対して政治委員は「興や主観だけじゃダメだ」と不当に批判する。偵察や実戦よりもポソン(足袋)や食事を作ること——政治委員は愛する玉姫を守りたい一心で何度も説得を試みるが、玉姫は悔しかった。貧農の娘が労働党員になった47年2月、玉姫は解放前に過労死した夫のような人々のためにも、党員として恥じなく生きる覚悟をした。だが戦場では女性であるがゆえに認められない。これは女性作家を見る男性作家の視点や「女性作家」に甘んじている女性作家を常々批判してきた任淳得の考えを反映したものであろう(『アジア人物史第10巻 民族解放の夢』)。

占領された村からは虐殺の情報が届く。玉姫の脳裏には、火のついた火薬倉庫の中で子どもたちのワラビの若芽のような手首がしきりにじたばたする様子や、敵にチマを破られ必死に抵抗している女盟員の姿がちらついた。我慢ならず玉姫は隊長を訪ねた。「私が男の同務たちより劣りますか。銃を撃てませんか(中略)……次こそは必ず襲撃戦の先頭に出してください」

これまでの玉姫の固い意志は隊長の信頼を勝ち取った。分隊長に任命された玉姫は喜びを感じ、襲撃戦で大きな戦果をあげる。ところが、それによって敵は軍犬を大量に放ち、焼夷弾を混ぜたガソリンタンクや爆弾を次々と投下。山が火の海と化す中、玉姫の肩にもついに砲弾の破片が突き刺さる。

この後の玉姫に対する拷問の描写はリアルだ。傷口にあてられた灼熱の金串—骨は溶け、肉が焼けて赤紫色の粉となり散らばる様子。人間の焼ける匂いに顔をゆがめる英国人将校と、笑みを浮かべさらに10本の指をペンチでひねる米軍将校の様子。

「こんなに死が辛いとは思わなかった。すでに死を覚悟した人間に恐怖などあるはずもないが、やはり人間はそれを超越しがたいのだ。……死ぬことは恐くない。だが、私が身もだえして歩んできた道が、もっと幸せで長く続くべきではなかったか。私は若い。まだ30を望むには遠い。……私は生きたい」(文中より)

家族や愛する戦友との記憶、自分の運命を切り拓く喜びに満ちた解放後の日々が、「生きたい」という素朴な願いを呼び起こした。だが玉姫は恥じない生き方を貫く。「米帝国主義者よ、呪いと滅亡を受けろ!私は死ぬが、私の後ろには労働党員が…民主女性が…人民軍隊がいる!」

正規軍の軍人でもなく、男性でもない、女性党員の戦い——何にも屈しない趙玉姫の精神を描いたこの作品は、多くの女性を主体的な人生へと導いたに違いない。

海州市に建つ趙玉姫の石像

狼の本性

『狼』(韓雪野)

傑作と評価される「狼」(韓雪野)は、51年4月に発表された。時代背景は日本の植民地期。なぜ戦時ではなく、植民地期を描いたのだろうか。

中心人物は米国人宣教師の家の雑役婦として働くオモニとその息子の修吉(音訳)。ある日ゴムボールを拾った修吉は大喜びでボール遊びをする。ボールの持ち主である宣教師の息子・シモンが現れると、かれは修吉を泥棒扱いしてめちゃくちゃに殴打する。「シモン……私たち米国人は、汚い者に神聖な手を出してはいけない」 息子を「諭す」宣教師は流血し気絶する修吉を置いて立ち去った。近所の寡婦はいう—「日本人だけ人を殺すと思ったら、米国人も…」

頭に打撲傷を負った修吉を見て怒りに震えるオモニ。様子をうかがいにきた宣教師の婦人は——かのじょは朝鮮人が問題を起こすと思い——教会で経営する病院に入院させる。病院の院長と宣教師は、修吉が致命傷を負ったことに心を痛めることこそなかったが、「無知な朝鮮人」が「自分の命を惜しまず」戦うことは知っていた。かれらは修吉を伝染病患者に仕立て上げ、真実を隠すために死体を燃やしてしまう。オモニのもとに突然やってきたのは、遺骨となった修吉と、金の包みであった—。

憎悪で心を燃やし宣教師の家に攻め入るオモニ。米国人の通報で飛んできた日本の警察に連行されるかのじょの運命を、読者はどれほど痛ましい思いで読んだであろうか。最後に宣教師は威厳を持って警察官にいう。「米国人として一つ頼みます。あの人が自分の罪を悔い改めたら許してあげてください。……これは神の御心です」

米軍に占領された世界で無罪の人民たちが命を落とした。韓雪野は米軍を描くだけでは足りず、米帝国主義の本性を描かねばと考えた。そうして、植民地時代に目撃した日本人の蛮行を米国人の物語として再構成するに至ったという。韓雪野は植民地支配の記憶を想起させると同時に、解放前から朝鮮に入り込み「慈善」をふるまう振りをしながら人民を殺す狡猾で暴悪な狼として米国を一般化したのであった。この作品は朝鮮の反米反帝国主義の精神をより確固とさせた。

占領期を経て作家たちは、戦う朝鮮の精神を創造した。次回から戦争第四段階(1951・6・11~1953・7・27)の小説を見ていこう。

(洪潤実・朝鮮大学校文学歴史学部助教)

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